徒然月記

岡三リビックの広報誌「岡三マンスリー」の編集者によるコラムです。
徒然なるままに、多ジャンルの様々な事柄に関する雑学的知識が綴られています。

2026年度

教授はどこに出かけた?

「忠犬ハチ公」といえば、日本人誰もが知る逸話。アメリカでもリチャード・ギア主演で映画化されたくらいに有名だ。その飼い主は、東大農学部で教鞭をふるう上野英三郎教授であった。

ところがハチ公の美談はここで矛盾をはらむ。現在でこそ農学部は渋谷から遠い「弥生キャンパス」にあるが、教授が現役だった頃は、渋谷のすぐ西の「駒場キャンパス」が農学部の所在地だったのである。ほんの1km先の仕事場へ行くのに、わざわざ渋谷駅を使う必要があったろうか?
これに対し「渋谷から私鉄に乗ったのでは?」と推察する向きがある。しかし渋谷発で「駒場東大前」駅を持つ井の頭線はまだなく、次に近い玉川電鉄(現・東急田園都市線)ではかなりの遠回りなので、少々無理筋だ。
実際教授は徒歩通勤が主だったとされ、ハチは大学正門までついていくのが日課だったとの目撃談すらあるようだ。教授がハチと渋谷駅まで日々往き来したというような話があるとすれば、それはのちの創作ということだ。

ではなぜハチは教授の死後、渋谷駅に通ったのだろうか。教授は渋谷からよそに出かけることも時々あり、ハチは帰ってこない主人を「いつもの出勤と違う遠出をした」と信じて渋谷駅で待っていたとする説が有力だ。

ポンポン船のエンジン

その昔、小型の動力船は「ポンポン船」などと呼ばれていた。エンジンがリズミカルにポンポンと音を立てていたからだが、その音を出していたのは「焼玉エンジン」と呼ばれる原初的なピストンエンジンだった。

焼玉エンジンはシリンダーヘッドにある球状の燃焼室がその名前の由来。点火プラグが不要であるなど原理的には現代のディーゼルエンジンの系譜にあり、石油ガスから重油まで幅広い石油燃料が使用可能な汎用性があった。そのため資源の枯渇した戦時中には植物油を用いる例すら見られたという(さすがに出力は下がるが)。
また始動時にこそちょっとした儀式めいた技が必要だったが運転時には特段の手間を要しなかったことは、少人数で乗り組む小型船のエンジンとしての普及に大きく貢献した。

20世紀初頭から戦後にかけての時代には当たり前に用いられていたこの焼玉エンジンだったが、技術の進歩につれて置き換えが進み、気が付けば現存する可動個体は国内でわずか数台しかないなど、今はほぼロストテクノロジーと化しているらしい。
当然ながら焼玉エンジンを現役でいじった世代もほとんど引退しているため、実機を保存する各地では定期的な運転イベントの開催などを機会とした後継者の確保も重要になっている。

駅と点字ブロック

いまやどこの街でも見る点字ブロック、正式名称は「視覚障害者誘導用ブロック」という。1967年に岡山市内に設置されたのがその始まりだ。
全国に普及する段階ではまだメーカー毎の規格がばらばらで、2001年になってようやくJISで突起のサイズなどが規定された。

ところで、駅のホームで見る黄色い点字ブロックはたいがいがホーム端にあり、駅員が「黄色い線の内側にお下がりください」という場合はこの点字ブロックを意味していることが多い。なぜそんな危険な場所に視覚障害者を通すのか、と怒るなかれ。これはその上を通るためのものではない。

点字ブロックは一般に、棒状突起で進行方向を示すものと、点状の突起で注意を促すものがある。駅ホーム端に設置してあるものは点タイプに棒を一本加え、棒の位置がホームの「安全側」を示す形にしている。つまりあれは通り道ではなく、はみ出てはいけない境界を示す意味になっているのだ。

ただ、駅用ブロックは道路用に遅れて2014年に規定されたためそれ以前のままの所もあるといい、この混在が利用者の混乱を招いているそうだ。

願わくばホームドアの設置がより進み健常者も含めて転落事故がなくなることが最も望ましい。

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