徒然月記

岡三リビックの広報誌「岡三マンスリー」の編集者によるコラムです。
徒然なるままに、多ジャンルの様々な事柄に関する雑学的知識が綴られています。
岡三マンスリーはこちら

2017年度

燃やし放題

2017.12

 世の中堅苦しいもので、やれ煙たいだのダイオキシンだのと自由に玄関前で焚き火をすることもままならない。そんな折、思う存分に火を楽しめるイベントがあるというので覗いてきた。

 その名も「焚火クラブ」。例年秋に開かれており、普段なかなか見る機会のない薪ストーブやキャンプ用焚火台をメーカー各社横断的にずらり揃えて実際に火を点けて使い勝手を確かめることができる、いわば体験会だ。加えて野外ライブやワークショップ、ハンモックやキャンプ用品の販売なども加えたアウトドア大会となっている。
 ちなみに会場は東京ゲートブリッジを仰ぐ埋立地の江東区立若洲公園。東京23区内では貴重な本格的キャンプ場で、当地でテント泊すれば2日間あるイベントを通しで味わい尽くせる点がちょっとロックフェス風味だ。夜ともなれば各々ご自慢のキャンプ装備も加わり、冬の到来間近の空の下でゆらぐ焚火やグリルの炎が、東京湾岸とは思えない幻想的な風景を演出する。

 ところが、そんなメラ燃えイベントに馳せ参じながら我が家はバーベキューもしないカセットコンロ炊事。消費期限の迫るレトルト非常食の煮沸とアレンジが中心の、被災時訓練を兼ねた地味めなキャンプであった。

「はだいろ」どこいった

2017.11

 最近の色鉛筆やクレヨンには「はだいろ」という色は入っていない。代わりに入るのはぺんてるのクレヨンでは「ぺーるおれんじ」、サクラクレパスのクレヨンでは「うすだいだい」など。十数年前からのことだという。

 そもそも子供が簡単に人物を描けるようにと予め用意されたのがあの「はだいろ」だったが、オレンジがかった色合いは明らかに黄色人種用。地方都市にも海外出身者が住む現代において相応しくないのは致し方ないところだ。海外でも人種差別問題の一つとして取り上げられ、それまで白人目線で「フレッシュ(皮膚)」と呼んでいた薄ピンク色のクレヨンを「ピーチ」などの色に代替してきた歴史がある。

 そんなご時世に、風潮をポジティブに捉えた色鉛筆が登場した。欧州の文具メーカーが発売した「肌色12色セット」だ。世界の人々の肌色を薄ピンクから黄、赤、茶系までグラデーションのごとく分類しており、誰を描くのにも困らない。ただし、黄色人種向けの色は日本人にとってのあの可愛げな「はだいろ」ではなく、黄褐色っぽいところがリアル過ぎてちょっと悲しい。

急がば回れ

2017.10

 欧米では以前から交差点方式として普及している「ラウンドアバウト」。直進車対右折車のような重大事故の危険性がない、信号がないので停電でも混乱がないといった利点を持つ。国内でも道交法上の「環状交差点」として定義されて3年になるが、全国でもまだ30か所ほどとレアな存在だ。
 そんな中でもラウンドアバウトが県内に5か所もあるという長野県の実例のひとつ、軽井沢の「六本辻」をちょっと訪ねてみた。

 別荘街の小さい交差点ながら六本の道が離合し、観光シーズンの交通量は25台/分もある。更に通学児童や観光客の往来も多く危険性を常々指摘されながら、その形状の複雑さゆえ信号設置が長年見送られてきた場所だ。
 訪問時の交通量は右記ピークの1/2程度であったが、なるほど無秩序に交通が往来していたかつてと違い人や自転車も含め動きが整理されたのは最大の導入効果だ。スピードの出がちな直進車が強制的に減速させられるので、交差点での事故自体もずいぶん減ったという。ただ、環道内が優先なのに我先にと進入する車がいるといったルール理解不足も散見された。

 用地的な問題など導入には壁もあるが、信号を使わない交差点としての利点は多く、より全国に活用が広がって欲しいものだ。

スピード女王

2017.9

 ご高齢の天皇陛下の退位に向けた具体論が加速しているが、陛下は昨年1月に高齢者講習込みで運転免許証の更新をされていたという。愛車ホンダ・インテグラの運転は皇居の中でしかしておられないので実際上は無免許でも何の問題もないが、少しでも気を若く保ちたいとのお考えだったのだろう。

 所変わって英連邦のエリザベス女王だが、こちらはもっと凄い。  彼女が72歳だった98年に、サウジアラビアのアブドラ皇子を別荘でもてなす際にランドローバーのハンドルを握り、26,000haという広大な敷地の案内がてらラフロードを爆走。皇子の度肝を抜いたという逸話が残る。91歳となる今年も「教会帰りにジャガーを運転し、空いた後席にはセキュリティが同乗した」と報道されるほど自分で運転するのがお好きな様子。  実は彼女、王女だった若かりし頃に軍の婦人部隊でトラックの運転をし、その整備に手指を油で染めたという、王室でも異色の経歴の持ち主なのだ。

 でも彼女は無免許だ。より正確には、免許は必要ない。英国の運転免許は女王の名のもとで交付されるが故に、本人は無条件で運転が了承されている。女王なら身分は明らかなので、専用リムジンなど王室車両もナンバーなしで公道を走る特権が与えられている。

フニクラで行こう

2017.8

 「行こう、行こう、火の山へ♪」
 軽快なマンドリンの伴奏が似あう「フニクリ・フニクラ」という曲がある。「イタリア民謡」と言われたりするが、実際は詞に登山電車が出てくるほど新しいもの。原曲が元々その観光索道(ケーブルカー)の為のCMソングだったのだ。

 1880年にヴェスビオス火山観光誘引のために作られた索道「フニクラーレ・ヴェスビアーノ」がそれで、「フニクラーレ」はイタリア語で索道の意味。ナポリのお祭りで曲が披露されるや大流行し、火山観光にも大いに貢献した。

 ナポリ市民の間であまりに曲が浸透したため、イタリアの国内事情を知らない外国にはそれこそナポリの民謡と勘違いされて伝わることも。ドイツの作曲家R・シュトラウスは自身の幻想曲「イタリアから」にこのメロディを取り込んだがために、のちに「フニクリ・フニクラ」の作曲者に著作料を支払う羽目となった。

 だがヴェスビオスはあのポンペイ遺跡を生んだ火山で、ケーブルカーも1906年と1944年の噴火で被災。特に後者は第2次大戦のさなかで世の中観光どころではなく、修復されないまま朽ちた。戦後も1953年になってリフトが改めて作られ、ようやくフニクリ・フニクラの風景が復活したのだった。

御用だ!

2017.7

 花の大江戸八百八町で行政・司法全般を司っていたのは町奉行所であった。北町と南町の二つの奉行所はそれぞれ1ヵ月間対外窓口を担当し次の1ヵ月はその残務処理に専念するという、組織全体での輪番制が組まれていた。
 だが南北奉行所は各々100人規模の組織でしかなく業務内容も多岐に渡っていたため、例えば犯罪捜査では奉行はもちろん配下の与力や同心でも直接現場に出向くことは稀であったという。

 そのため同心は岡っ引と呼ばれる市街パトロール役を私費で雇っていた。さしずめ探偵や警備員が警察業務の下請けをしていたようなものだ。だがその岡っ引にしても広い町域に対して充分な人数がいたとは言い難く、普段から表と裏の人脈・情報網を総動員して街の警らや捜査に当たっていた。

 ちなみに岡っ引の十手は本来使用に際して奉行所の了解がいる道具で、これ見よがしに帯に差して街を歩くような者は実際にはおらず、逮捕権限と手柄もあくまで与力や同心のものだった。

 またドラマでよく「御用だ御用だ!」と提灯を掲げて犯人を追う集団が出てくるが、実態は奉行所の下働きや岡っ引の手配で適宜集められただけの人夫だった。だからこそ「御用(公務)」アピールが必要だったのかも知れない。

原点回帰

2017.6

 国会議事堂前の「憲政記念公園」内に、ギリシャ神殿風の小屋がぽつんと建っている。ここに収められているのはその地下から深さ10m以上の基礎に支えられた日本の水準原点台石、日本の土地は全てここ基準で標高を記される。(離島を除く)

 そもそも標高とは海面からの高さのことだが、海は常に波や潮位の変化があるため指標にしづらい。そこで地盤沈下等の影響のない台地上の固定点に東京湾平均海面(TP)からの高さを記した原点が定められていて、その値は標高24.39mとなっている。
 基準となる水位と原点は定期的に測定されているというが、その数値が改訂されたのは明治24年の設置以降、関東大震災後と東日本大震災後の計2回のみ。設置当初は標高24.50mと比較的切りのいい数値に設定されていた筈が、2回の地殻変動を主な原因として計11cm沈降したという。

 この話からすると、近年地球温暖化に起因する海面上昇でTP値を度々変更する必要に迫られる、というような動きは今のところはない様子。短期的な変化は気象条件や天体との関係などでも生じるものなので、もし今後温暖化が主因の改訂があった時は、本当に地球が危ういということだろう。

並行世界(パラレルワールド)の男

2017.4

 1964年の夏、羽田空港にある外国人が降り立った。入管係官が彼のパスポートを見ると「TAURED(トーレド)」という見知らぬ国名のものだった。だが世界各国のスタンプが押されたそのパスポートは嘘や冗談には見えなかった。

 係官は男を別室に通し詰問。まず世界地図を取り出し「あなたの国はどこですか?」と聞くと、フランスとスペインに挟まれた小国アンドラのあたりを指差し「なぜ私の国がない?この地図はおかしい!」と叫んだ。彼はトーレドで取得したという国際免許証やトラベラーズチェックも取り出し「日本にはビジネスでもう3回は来ているのに何の冗談か」と怒りを露にした。

 だが、彼が予約したというホテルには彼の名前はなく、取引先だという日本の会社も彼を知らなかった。そこで男を別のホテルに泊めドア前に警備員を置いて軟禁、翌日あらためて彼の出自を詳細に調査することになった。ところが翌朝、係官が部屋を訪ねると中はもぬけの殻になっていたという。

 一体彼はどこから来て、どこへ消えてしまったのか。こんな謎めいた話が当の日本ではなく海外で、少なくとも1980年代には伝聞されていたそうだ。信じるか信じないかはあなた次第…。

徒然月記バックナンバー

ページトップ